筏は大台ケ原方面から新宮まで北山川を流し運ばれ、北山村大沼付近が中継点となっていました。ルートは、池原→七色→大沼→瀞→新宮 の流れです。朝 7時に大沼を出て瀞八丁に付けて3時ごろには戻ってきました。シフト制のような形で、瀞までの日と新宮までの日がきまっていました。夏場は水が多く2日程度、冬場は3日程度かけて新宮まで材木を運搬していましたが、途中で日が暮れてきたら近くの宿に泊まっていました。(新宮までの宿、瀞ホテル、北民宿、四瀧の宿、川根、九重、浅里)ルートの中で、北山川でも北山村から瀞峡付近までが最大の難所とされており、現在の北山川観光筏下りの最初の瀬であるオトノリはかつて弟乗りといわれ、後継ぎの長男は乗らないといわれた逸話があります。ここを乗り切る北山村の筏師の櫂さばきは筏師の華とされていました。 新宮では、お酒や女遊びを楽しみ、豪快に遊んで帰ったため資産は蓄えなかったともいわれていますが、食糧難だった当時、宿泊する宿では食料を持参してくるため、筏師は大喜びで迎えられたようです。 |







